図 書 館 の 思 い 出
電気電子工学科 城 谷 一 民
1960年はいわゆる60年安保の年で私は大学の教養課程に在学していました。この頃の東京は戦後の復興期を終え高度成長に向かう準備段階といった時期でしたが,まだスラム街的な所も残っていまいした。精神的にはアメリカやヨーロッパに対してあこがれやコンプレックスが強い時代でもありました。この頃なぜか私は国会図書館によく遊びに行きました。特に調べ物があった訳ではありません。当時の国会図書館は現在ある三宅坂ではなく四谷にありました。今の迎賓館です。四ッ谷駅を降りて大きな街路樹のしげる並木道を通って図書館に行く道はとても気持ちよいものでした。門を通れば図書館にしてはもったいないような豪華な建物がありました。庭も広々としていました。中に入ってびっくりしました。新聞コーナーや週刊誌コーナーがありました。全国の新聞が読めるのです。週刊誌もまだ出始めたばかりでちょうどいまのマンガみたいに軽く見られていた時代です。それが全部ならんでいるのです。まさかこんな立派な所で新聞や週刊誌が読めるとは思いませんでした。(役割を考えれば当然のことですが)。もちろん一般図書のコーナーもあり大学生が必要とするような本や専門的な文献もそろっていました。私にとっては大学の図書館よりもはるかに快適でした。地下のほうには食堂や理髪店があり市価よりも相当安い感じがしました。当時は今と違って外食が盛んでない時代でしたがここに食べに来るだけでもとくをしたような気分でした。今にして思えばもったいないような感じですが,私がここにきたのは調べ物があったわけではありません。普通の本を読むためです。偶然手に取った本は画家の東山魁夷が若い頃ドイツに留学していた時の紀行文でした。もちろん私は東山魁夷のことなどなにも知りませんし,特に絵画に関心があった訳ではありません。また彼も今のように有名ではありませんでした。しかし文章はヨーロッパの生活がいきいきとかかれており,ヨーロッパの文化の香りが強く伝わってくる感じがして,私には印象が強く残っています。後年私も少し絵に興味を持つようになりときどき美術館に行くようになりました。そこで初めて東山魁夷の絵を見ました。彼の絵は幻想的で夢を見ている様な感じがあります。これはどこかであの紀行文とてながっているような気がします。私の国会図書館通いも約1年で終わりました。専門課程に進んで忙しくなってしまったからです。国会図書館は三宅坂に移転しました。あれから一度も国会図書館に行っていません。今では図書館と言えば専門雑誌を調べるだけになってしまいました。この文章を書いていて青春時代が鮮明に思い出され,こんな図書館の使い方もあるのだとあらためて思いました。専門誌を見るだけでなくもうすこしひろく図書館を利用すればより豊かな生活ができる様な気がします。 |
(しろたに・いちみん) |