みずもと第12号(2001.3)

私たちの図書館にしかできないこと

共通講座 亀田 正人



 1985年6月のある日,私は朝から真っ暗な部屋の中,手許を照らす10Wほどの白熱灯だけを頼りに,ある本 を書き写していた。その日で3日目,あと1日でその仕事を終えることができそうであった。ロンドンは大英 図書館の奥,「北図書館」でのことである。

 ありとあらゆる種類の人々でごった返す大英博物館の中,アドミッション・オフィスで利用許可証のチェ ックを受け薄暗い通路を抜けると,突然まぶしい光に満ちた巨大なドームの中に放り出される。大英図書館 である。1,600万冊の蔵書が円形の壁面の三階部分までを埋め尽くしている。中央に設けられた円形の請求 カウンター越しに一言二言が交わされる以外,ひとりとして声を発する者はない。外界とはまったくの別世 界である。

 私は1週間ほど前からここで何冊かの本を探し出し,コピーしながら内容をチェックすることに専念してい た。すべて18,19世紀に発行された,日本国内では見つからなかった本ばかりである。ある本を請求したとき, 本の代わりに次のようなスタンプを押された請求書が戻ってきた。「この請求書を,48時間以内に北図書館の 発行デスクに提示してください。」私は事情が飲み込めないまま係員に教えられ,それまでその存在にすら気 づかなかった北図書館への通路をくぐったのであった。

 北図書館はさらに別世界であった。発行デスクで説明を受けた。私の請求した本は1831年にロンドンで発行 された小冊子であったが,「紙が脆く,日光に曝すと傷むおそれがあるので,この部屋の中でのみ閲覧を許可 する。機械でのコピー・サービスはしない」とのこと。冒頭の様子はその必然的な帰結である。

 まわりを見渡すと100席ほどの部屋の中に手許灯の反射で数人の顔がぼんやりと見てとれた。自分がなにか とても重要な仕事をしているような気分にとらわれ,ただただ本を正確に書き写すことに一種の陶酔感さえ覚 えてしまった。

 陶酔感は錯覚の産物として差し引くとしても,人の視力より本の保存を優先する大英図書館の書物の取り扱 いを,身をもって体験できたのは収穫であった。そのような厳格な取り扱いは,それに値するだけの貴重な文 献を数多く所蔵していることによって培われた使命感と配慮の現れなのであろう。大英図書館の奥深さを垣間 見た気がした。

 ひるがえって我が室蘭工業大学図書館。大学図書館として,毎日の学習・研究になくてはならない役割を果 たしている。それを十分に認めた上でさらに,あの大英図書館にも真似のできない,文字どおりユニークな仕 事を期待するのはわがままであろうか。

 つい先日,本学で「科学史」の授業を担当しておられる非常勤講師の吉田省子先生とお話しする機会があっ た。吉田先生は,科学史というその専門の故か,私などとは見えるものが違うらしい。何年か前のこの時期, 学内を歩いていてあるものに目が留まった。それは,退官を控えた教官が研究室を整理しているときに出てき た,かつての実験の手引き書の山であった。処分しようと廊下に出されてあったところを,吉田先生に発見さ れたのであった。それを手に入れた吉田先生は,実にうれしそうである。毎年使う実験の手引き書も,実験装 置の更新とともに過去のものとなっていくが,実験装置ともども長年にわたって比較できれば,科学研究・工 学研究の変遷を跡づける際のひとつの資料になりうるであろう。もちろん,図書館の書架のあちこちにもかつ て使われていた教科書類が並んでいる。

 それらも再び活用してもらえる日を待っているはずである。

 本学に各種実験装置を展示する博物館の構想があると聞く。実験装置の保存・展示の際に,それを用いて行 われた研究の内容や成果,あるいはそれが社会の中でどのような意味や役割をもったかを示す資料の発掘・展 示もあわせて行えば,その価値は数倍化するにちがいない。本学独自の教育・研究の発展史を視覚的に提示す る唯一無二の資料となるであろう。それはひとり本学の教育・研究史にとどまらず,日本の,そして世界の科 学史・工学史を知るための,また科学・工学の将来を考えるための貴重な財産となるにちがいない。そしてそ れは同時に,博物館と連携した図書館の新しい財産となるであろう。そのとき図書館は,外から資料を収集す るのみではなく,本学の中に眠る資料を発掘し新たな生命を吹き込む存在,ほかの図書館にはできない独自の 使命を持った存在となりうるであろう。

 とはいえ,必ずしも図書館自身がそのような仕事のすべてをしなければならないわけではない。吉田先生に よると,北海道大学には学内の様々なところに埋もれている資料を発掘して歩く学生たちがいるそうである。 私の知るかぎり,本学にはそのような学生はいないが,博物館学や科学史を専門とする常勤・非常勤の教官の 力を借り,対象となる講座の教官の協力を得られるなら,また願わくは学生たちの自発的参加も得られるなら, 立派な仕事ができ,その成果を博物館と図書館に結晶させることができよう。図書館は仕事の場を提供し,専 門的なアドバイスを与え,保存と展示に一役買うだけでよいのである。

 たとえばこのような,私たちの図書館にしかできない仕事,もしもそれができたなら,私たちの図書館は今 以上にかけがえのないものになっていくにちがいない。


(かめだ・まさと)