共通講座 松名 隆
"Shirokanipe ranran pishkan, konkanipe ranran pishkan"(「銀の滴降る降るまはりに、金の滴降る降るまはりに。」)というあまりにも有名になってしまった書き出しで始まり、左頁にローマ字表記のアイヌ語、右頁にその日本語訳という見開きのかたちで記載することによって、このふたつの言語の美しい交感が奏でる見事なことばの交響楽を生み出した『アイヌ神謡集』の出版を目前に、惜しむらくも夭折した編著者・知里幸恵(1903-1922)の今年は生誕百年の年である。テレビで特集番組が放送されたり、先日も彼女の生地・登別で幸恵を主人公とした『銀のしずく降る夜』という劇が上演され、筆者も久々の感動を味わったが、これからも様々な記念行事が予定されているようである。
『アイヌ神謡集』(以下『神謡集』とする)については、そのアイヌの口承文学としての世界的価値や、序文を含め幸恵の表現した美しい日本語を通して伝えられたアイヌの精神文化の現代的意義については筆者も大いに認めるところであるが、ここではそれと関連しながら少し別の視点からこの『神謡集』の意義を考えてみたい。
神謡(カムイユカラ)は、「アイヌ」の本来の意味である「人間」にたいして、彼らの身の周りの自然界に存在する実体(生物・無生物を問わず)や現象あるいは精神世界の存在などを遍く「カムイ」としてとらえていたアイヌが伝承してきた、主として身近なカムイとしての動物たちに自ら語らせるというかたちで展開される物語であるが、その背景には『神謡集』の序文で幸恵がおそらく憧れの想いを込めて綴った次のような世界があったのである。「冬の陸には・・・山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には・・・木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り、花咲く春は・・・蕗とり蓬摘み、紅葉の秋は・・・宵まで鮭とる篝も消え、・・・円かな月に夢を結ぶ。嗚呼何といふ楽しい生活でせう。」
このように、神謡がアイヌによって生み出され、それが代々語り継がれていった現実的基盤として、かつては彼らアイヌ(人間)と身近な自然(カムイ)との実生活における密接な結びつきがあったのである。すなわち、人間(アイヌ)はそこで生き抜くための切実な労働を媒介として、カムイ(自然)と実体的に深く関わっていたのであり、したがって 神謡の世界は、アイヌにとってはごく日常的なリアリティのあるものであったはずである。しかしこのようなカムイと人間との密接なつながりは、幸恵の時代にもすでに失われつつあった。「平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、此の地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。」幸恵はこれをアイヌ民族の辿ってきた過酷な運命として半ば諦観しつつも、せめて自分たち民族の証しである誇るべきアイヌ語とそれによる物語を後世に伝えんとして、最後の力を振り絞ったのである。
こうして『神謡集』に込められたこのような幸恵の切なる願いをあらためて噛み締めつつ、この作品が今日の私たちに問いかけてくるものを考えてみると、まさにこの『神謡集』が今の私たちの生き方を逆照射しているということに気がつく。すなわち幸恵が序文のなかで切々と語り、本文の神謡の世界の背後にあった身近な自然と人間との強い生活上のつながりは幸恵の時代以上に失われてしまい、それゆえにカムイという自然のとらえ方にもリアリティが感じられない今の私たちの在り様である。
江戸時代の医学者であり大思想家・哲学者であった安藤昌益は『自然真営道』をはじめとする著作のなかで、人間はすべて「直耕」(食べ物を得るために身近な自然に直接働きかける生産的労働に従事すること)すべきことを説いた。このことばを広義に解釈すれば、これはアイヌがかつては当然のこととして日々行っていたことであるが、分業化が極度に進んでしまった今日の社会ではもはや現実味をもたないものとなってしまっている。しかし、この「直耕」こそがカムイと人間を現実的につなげていたものであり、それゆえに私たち一人ひとりが他の生物と同様に食べ物なしでは生きることができない人間だからこそ、今このことばの意味をあらためて考えるべき時ではなかろうか。幸恵の『神謡集』は,もの静かではあるが重くそのことを私たちに問いかけているように思われる。
(この拙文を,アイヌ語・アイヌ文化に深い理解を示され,筆者にも熱い激励のことばを下さりながら,先日惜しくも急逝された本学前附属図書館長の故・三澤俊平先生に捧げます。 合掌)
(まつな・たかし)